感覚のままにしておきたい性質と言葉にしたい性質
早くあったかくなって欲しい、ライオンです
日本語不自由な感じで書いていくので、あんまりお気にせず
エンジニアをやっていて思うのは「感覚」で感じたままにしておきたい人と「言葉」にしたい人の両方がいると思います
この時の「感覚」っていうのは自分のしている事や何かを見た時の感じ方を言語化するのが苦手な奴ですね
「言葉」というのは逆に得意です
この2種類の分け方は恣意的な分け方なので、この時点で「うっこの分け方は酷い」と思った人はブラウザバック推奨だ
感覚で感じたままにしておきたい人
- 「直感」で感じることが多い(しかしそれらは知識と経験に裏付けされたものであることが多い)
- とにかく言語化することより直感的に感じた気持ちの方を大事にする
- 気持ちなどを分解して言語化して、人に伝えるのが苦手
- 共感ベースだったりするので、言葉が不要な人同士ではフィーリングが合う
- 何か新しいことを始める場合でも「外観」から入り、「仕組み」の方には興味が無い
言葉にしたい人
- とにかく「気持ち」や無形なものを言語化しようとするため、言語のチャンネル(IQレベル)が合ってないと会話が合わないことが多い
- こういうブログを書いてしまう
- 自分のやっていることの証拠を残したがる
- 何か新しいことを始める場合は「外観」から入っても、「仕組み」の方に興味がすぐ向いてしまい、言語化して理解しようとする
で、最近思ったのはデザイナさんにもこれ当てはまる人いるんじゃねーかなと思った次第です
どっちが良いとか、どっちが悪いとか、そういう話をするわけではなく、マッチングさせようとした時にこれらは非常に重要なのでは無いかと思った次第です
例えば「感覚」の人から「言葉」の人を評価した時に「無粋」「野暮」「理知的」「賢い」「すごい」などの評価をしたり
「言葉」の人から「感覚」の人を評価した時に「頭が悪い」「言語野が発達していない」「落ち着く」「言葉ではなくフィーリングが重要」「あいつはきっと馬鹿のふりをしている」などの評価をしたりする
しかし、ここまで書いておいてなんだが「言葉にしたい」部分と「感覚で感じたままにしておきたい」部分などが自分にはあったりする
例えば「人が一体何に興味を示したりするのか」とか「人の気持ち」などの部分はなるべく言語化しておきたい部分である
だけど「人の生理的嫌悪感を示すものや嫌悪感の強いもの」や「倫理的に許されない行為に快楽を見出す」などの部分は言語化したく無い部分でもある
なので何もかも「言語化したい」わけではないし、これは「人」という括りではなく、「性質」の括りなのかもしれないと思う(だから一部だけ「感覚」で一部だけ「言語化」という人の方が一般的なんじゃ無いのかな、と)
そう思うのもできるだけ言語化しておければ良いな、程度なのだ
何故そこにこだわるのか、少し考えてみると20未満の成人前の人が言語化できないでも「まぁわかる」とはなるが、社会人5年も過ぎた人が「感覚」だけで物事を進めていると単純にヒヤヒヤするのである(自分も言語化しようと思うようになったのはエンジニアをちゃんとやり始めてからだと思うので30過ぎてからだと思う)
「行動原理の言語化」ができていない、ということは一体何に刺さるのか分からないし、「何を」モチベーションに動いているか分からないので、ふとした段階で離反するし、普段何をやっているのかが分からない、ということになると思う
普段何をやっているか全てを把握してもらう必要なんて無いのだが、ある程度「あの人はああいう人だ」というキャラクターは社会を生きる上での鉄則だ
他人からの自分を見た時の分かりやすさは生きやすさに直結するとは思っている(自分はそうできてないので苦しんでいるのだが)
だから言語化できる、ということは、暗黙知ではなくノウハウを共有できる、ということだ
人間という不確かで、行動原理もよく分からない、気持ち悪いモノのノウハウ(取扱説明書)を共有できる、ということは自分のためではなく、相手のためであったりするんじゃないかなーと書いている最中に思った
IoT Kickoffの第1回目を開催しました!
もう春ですね、木々が何かを実らせているのに対してプライベートは何も実らせていないライオンです ぐすん
さて、自分とせいごさんで企画したIoT Kickoff #1を開催してきました!
今日は茅場町 Co-Edoにて、 IoT Kickoff vol.1 を @lion_man44 さんとともに開催してきます。とりあえず、私としての全方位でお手軽IoT機器を持って行きます。たのしみだー。 #iotkickoffhttps://t.co/e21VJf7K20
— 1ft_seabass (@1ft_seabass) 2017年3月11日
もともと企画としてはエンジニアだけじゃない、いろんな人たちが集まれば良いなぁと思っていたのですが、一応いろいろな人がきてくれましたw
9割がたがエンジニアバックグラウンドにあったので非常に話しやすく、また理解してもらいやすかったので大変楽だったのですが次回以降も純初心者の方が課題かなーと個人的には感じています
#iotkickoff はじまりましたー。 pic.twitter.com/saH3n0plsu
— 1ft_seabass (@1ft_seabass) 2017年3月11日
ずっとせいごさんも自分も喋りっぱなしだったので、ほぼほぼ写真やらツイートとかそこらへんが残っていないのですが、とりあえずこんな感じで始まりました
人数自体はこれぐらいの規模で喋れたのは非常に良かったです
いろいろ触って話しながら、それぞれの方にやりやすそうなIoT技術機材の話をしてます。 #iotkickoff pic.twitter.com/aWAy8w8Vmf
— 1ft_seabass (@1ft_seabass) 2017年3月11日
それぞれのテーブルに分かれて、それぞれの課題がある方たちと意見交換したり、いろいろ触ったり、触れてもらったりしながら、やっている最中です
その中で面白かったりしたのは「トイレのON/OFFとかをWebから確認できるようにしたい」といったような課題を持っている人のサポートを行ったりなど(途中で投げ出してしまったのすみません!)、「どこからIoTを学んでいくのか」といったような勉強方法など、いろいろな話ができたのは非常に面白かったです!!
IoTをやる上で本当に必要なのはいろいろなものを知っていることだな、と改めて実感できた日でもありました
というのはいろいろな方法でできるからこそ、どれだけ自分にとって必要のなさそうなところを省略できるかが勝負だな、と思いました
例えば自分にとって言えば回路設計などをやるのは別の人にお任せして、ソフトウェアの部分で携わりたいなという気持ちがあります(オームの法則とか計算するの面倒くさいという気持ちはありますw)
しかし、オーバーラップすることで自分の仕事が将来的に楽になる場合、新しい発想というのもあるかと思っていますので、そこは勉強を続けていく必要もあるなと思っています
よくわからないものを、わからないままそれぞれのスキルで、よくできそうな気配を感じ楽しかったです。またやります。 #iotkickoff pic.twitter.com/PS0p2cbzJG
— 1ft_seabass (@1ft_seabass) 2017年3月11日
いろいろなレベル感の話とか聞けたり、どう何をするのか、ってところの話とか聞けたり話せたりしたので最高に面白かった! #iotkickoff
— オレンジライオン (@lion_man44) 2017年3月11日
最終的にいろいろ便利なものを教えてもらったり、省略できるところを省略することで本来のサービス(提供したいもの)に集中出来る、ということが知れたので最高な1日だったな、という感想です
次回は5月以降で考えていますので、いろいろな方のご参加をお待ちしています :bow:
追記(2017/3/22):
せいごさんも書いてくれました! ぜひぜひ、ご一読あれ!
メンヘラ女の能力というより性質の話
なぜ「恋愛メンヘラ女」は男性を虜にするのか?その4つの能力 - Menjoy! メンジョイ
Twitterで流れていたので、ちょっと気になり見てみましたが、一部あってるんだけど違う、と思ったので筆をとりました
ちなみに何故、この手の話が気になるのかと言うと俺も付き合う女性のほとんどはメンヘラ女ばかりだったからです
俺の思い出を語れる中で最高にクソッタレだったのが夜中4時ぐらいに「淀川まで私を探しに来て」というメールをもらったことです
(その後結婚したらしいが、当時の状況を知る知人たちの中では彼女のあだ名が「うさぎちゃん」になっています)
1「隙がある」
これは見出しだけ見れば「確かに」、なのですが「隙」の定義が「悩み」になっています
「悩み」は人間であれば誰しも持っているものです
恋愛メンヘラ女には、常に何かしらの“悩み”があります。その悩みの相談に乗るていで、自然な流れでお茶や食事に簡単に誘うことができるのです。
そうではなくて、「悩みを外に匂わせており、かつ距離感の取り方が近い」のが「隙」です
(悩みを相談してくれたり、悩みを持っているような顔を見せたり、距離感の取り方が近く、不意に男性が張っているテリトリー内にスイッと入ってきたりする)
決して「恋愛メンヘラ女」というカテゴライズではなく、「誰しも」「悩み」はあります
そして男性は「問題解決思考」です
その「悩みを解決したら、ご褒美が何かあるかも」と考えるのは狩猟時代から続く脳みその思考です
別に「悩みを解決しても、見返りなんてなくてもいい」なんていう、聖人君子のようなそれはもう神々しい男性がいたりしますが、それは某ゲームで言うような「エミヤ思考」(自己犠牲の精神)と呼ばれているものであり、非常に気持ち悪いと個人的には考えます
俺は問題を解決をしたら、見返りが欲しいですし、それがメリハリ、または対価、というものです
2 「影の部分を知りたくなる」
これもまぁ見出しだけ見れば「確かに」って感じになるのですが…
メンヘラ女に共通しているのが「幸薄そう」、「目がトロンとしている、ないしは斜に構えてみている」です
総じて「自分より若いな」「自分より幼いな」「自分より弱そうだな」「自分になびきそうだな」、という優越感が男性には無意識下にあるのです
で、それらをグルングルンに盛大にラッピングして…それはもう自分が 何をラップしていたか 気づかなくなるぐらいにグルングルンにして「かわいい」と表現するのです
で、さらに最悪なのが それを好きと自分自身で誤解してしまうのです
でもこれって、女の能力って言うより男のダメなところであって、能力では無いと思うんですよね
つまり「隙がある」で説明した距離感の取り方が近い、というのがこの項目に該当することです
3「父性本能を掻き立てる」
もはやこれらは何を言いたいのかわからず、女性の能力では無いだろ…
(守ってやらないといけなくなるような会話術を持っているということだろうか?)
男性は「俺がいなくちゃこいつはダメなんだ!」という女性が、なんだかんだ言っても大好きなんです。
守ってやらなくちゃ!っていう精神は「重要文化財保護の精神」です
自立している女性が好きという男性もいますが、そんな女性は結局「俺がいなくてもお前はやっていけるから……」と理由をつけてフラれるパターンがあります。
これは確かに見た
付き合ったのなら「俺がいなくちゃこいつはダメなんだな!」と思わせるくらい依存しちゃって全然オッケー! 逆に男性の父性本能が働いて相手を放したくなくなります。というより手放せなくなるのです。
いつから「メンヘラ女の能力」から「女性が男性をメンヘラチックに落とす方法」に変わっているんですかね?
4「忘れられない」
もはやこれも…
彼女と別れても、その彼女が恋愛メンヘラであったならば、男性はなかなか忘れることができなくなるといいます。
だからこれは「メンヘラ」に限った話じゃねぇ
いつまでたっても忘れられない女性に男性は別れた後でもつい連絡を取りたくなるもの。それから復縁なんてことも珍しくありません。恋愛メンヘラ女は過去の男までも虜にさせるのです。“恋愛メンヘラ”を甘くみてはいけません!
Oh… これは別に女が問題じゃなくて男のほうがメンヘラなだけだろ
まとめ
最初に筆をとった理由は書きましたが、書いている内に改めて記事の質自体が酷いと思ってしまいました
この著者の方が書いているのは能力ではなく、性質です
批判していてばっかりも何なので、個人的に思うメンヘラ女の能力というより性質を自分も書いてみました
- 悩みを外に匂わせている
- 距離感が近い
- 幸薄そう
- 目がトロンとしている、ないしは斜に構えている
- 服の上からわかるぐらいには「頬」「耳」「首」「胸」「腕」「背中」「腹」「腰」「尻」「太もも」「ふくらはぎ」「足首」のどれかが「だらしない」感じになっている
(ここでいう「だらしない」というのは「太っている」という意味ではなく、男性目線で「触ってみたい」「揉んでみたい」「舐めてみたい」「噛んでみたい」という扇情的な「形」をしているということです)
現場からは以上です
経営者の求めること、現場の求めること
最近よく考えることが多い
あなたが例えば経営者であれば、「全員には経営者目線を持ってもらいたい」というのは分からなくもない話ではあったりする
しかし、あなたが現場の人間であったならば「ふざけるな。経営者は経営の仕事をちゃんとやれ」というのもまさに至極まっとうな話である
1について
で、例えば1について考える
これが「分からなくもない話」と言ったのにはわけがあります
世の中には「経営としてした判断に文句だけを言う輩みたいな奴」、というのはいるわけです
過去の自分もしたことがあります
これをもっと役職を落とした状態で書くとこんな感じです
仮にリーダーが「Aという施策を実行するか、Bという施策を実行するか、AとBは全く施策の方向性が違うので同時に採択はできない」、という状況で A を選んだ場合でも 私はBだと思うんだけど... という状態は起きます
経営として判断する場合には 51% のメリットを取り、 49% のデメリットには目をつぶってもらう、ということを否応なしに迫られます
まぁ毎度毎度51と49のメリデメに関しては説明しろよ、って思うんですけど、こういうきわきわな奴って誰かを説得したことのある経験持ってたら分かると思うんですけど、博打なんですよね
実際の問題 51%のメリットだと思って判断して、採択し説明したら51%のデメリットでボコボコにされた、なんてのもよくある話です
だから人間としてやることなんてまぁ分かりきってて、責任を少しでも分散したいんですよね、お前も考えたんだから一緒にやっていこうという巻き込み力を発揮して責任と権限を適切に委譲する
2について
では、2で考えると、これも至極まっとうな話です
そもそも、経営の仕事として経営のことを考えるのも当然仕事の内です
仮に現場の人間というのをコンテンツを作る側の人間と仮定しましょう
実際に手を動かすのはいつもコンテンツを作る側の人間です
企画・発案 -> 設計 -> 実装 -> 検証 -> 運用/改善 -> 保守...
これがコンテンツを作る側の人間のやる主なことです
それぞれの部分で、作るものによっては異常にパワーがかかる部分です
経営の仕事というのは
ビジョン制定、ビジョン(ゴール)の具体化、営業、資金調達、リソース調達、コンテンツ作成、社内広報/社外広報、チームビルディング、マネジメント、経理、契約、支払い...などなど必要な物全てがのしかかってきます
大変です、だから人を雇うのです
経営の仕事は少なからず、今できない仕事全てを言ってしまえば一手に引き受けるお仕事だと思います
経営の仕事というのはタスクベースで考えると、人がいない時ほど大きくかかり、人がいる時ほどどんどんと少なくなっていくようになります
なので、経営の後半の仕事はほとんどMTGと人間関係調整とお金をどっかから引っ張ってくることばかりです
つまり関わるフェーズで経営者と現場の関係性には必ず溝があります
で、人間と接したことあるなら分かるかと思いますが、2人以上いれば政治が始まります
そして、パワーバランスというのは個人とチーム、それぞれで変わってきたりします
プログラミングしたことある人なら分かるかと思うんですが、if文の嵐だと思うんですよね、人間関係って
で、本来であれば経営者が考えなきゃいけないこと自体も中々考えられずに日々が進んでいきます
そうすると、フラストレーションが溜まり「経営者目線を持て」と言いたくなるのかなぁと思ったりします
しかし社内政治に巻き込まれているのは現場も一緒で、関係調整に走っているのも現場の人間も一緒です
つまり、組織として経営者が自分一人でやってた頃はモチベートもあったでしょう、それを努力で何とかしようと時間を使って動いたはずです
それが全くの経営に興味のないレイヤの人間に求めても酷なことで、はっきり言ってそれを押し付けてくるのは完全に自分の価値観の押し付けではないのかなと思います
2つの立場
大事なことは興味のないレイヤにも「魅せること」は全然ありだと思いますし、そういう風に布教していくのはありだと思います
しかし、それを押し付けてくるのは責任がズレてるなぁと思います
経営者が求めるもの、現場が求めるもの
経営者は現場に欲の形を見せる必要があると思うし、現場は経営者にそのスキルを持って応えてあげる、という風土を両方で作っていくのが良い環境だと思います
2017/1 ぼくがかんがえるさいこうのフロントエンド
異論は認める
あとcssとテスト周りが弱いので誰か教えて欲しい
早く作りたい(メンテとかなくて、早く作る人向け)
前提
採用技術
- Vanilla JS
- babel
- babel-presets-es2015
- babel-presets-es2016
- jQuery
- cssフレームワークは好きなの使えば良いと思う
- eslint
- csslint
そこまで凝りたくは無いんだけど、ややこしくしたくない(早く作らなきゃいけないんだけどメンテも発生する人向け)
前提
採用技術
- Vanilla JS
- babel
- babel-presets-es2015
- babel-presets-es2016
- babel-preset-stage-2
- jQuery
- cssフレームワークは好きなの使えば良いと思う
- eslint
- csslint
- power-assert
- browserify/webpack
- babelify
ちょっと凝ってみたい
前提
- サービスによって考える
採用技術
- Vanilla JS/TypeScript
- babel
- 使いたい分だけ使え
- babel-preset-react
- Vue.js/React
- jQuery
- cssフレームワークは好きなの使え
- eslint
- csslint
- browserify/webpack
- vuelify/react-require
- babelify
- power-assert/ava
凝りたい
前提
- ここまで知っている人ならあとは大丈夫だ😉
- 半分ネタです
採用技術
- TypeScript
- React/AngularJS
- material-UI/flat UI
- eslint
- csslint
- webpack/systemJS(JSPM)/rollup
- power-assert/ava
- testium/Nightwatch/Intern/protractor(for AngularJS)
とりあえず筋肉が足らない
筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法
もう仕事も先週で終わってしまったので、今まで積ん読になっていた書籍を片付けていこうと思い、とりあえずスピリチュアル的な内容の本から読んでいこうと思い、読んでみた
結論として言えば、失敗だったのだが、まぁ無駄な全能感に覆われてしまったのは良かったのではないだろうか
世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく
そして次に読んだ本がこれだったのだが
まぁ2限目とか筋肉が足らないよね
って結論に達してしまったので、全く参考にならなかった
しかし、2限目とかの題材がコンサートという一発勝負的なものなので仕方ないというのもあるが、本来の問題解決としてやる施策が5個以上になるとかもはやハンドリング云々の前に、
そもそもどの施策がどれぐらい向上したのか検証できてねーじゃん
っていうのと、ホームページの作成とかチラシの作成が人に投げるだけで、一番すぐに実行に移しやすいって考え方、丸投げ精神まんまでどうなんすかねそれ
とか、これだけ効果出ましたって図がわかりづらいとか...モヤモヤするものだけを残してくれたので、まぁコンテンツを作る側の人間とかはこれ見ても全く参考にならないので、見る必要無いかな
いかんせんビジネス初心者の見る本だと思うので、この指摘自体ナンセンスなのは自覚しているけど
マンガでわかる! マッキンゼー式ロジカルシンキング (まんがでわかるシリーズ)
そして3冊目に読んでみたこれ
A4メモ用紙に箇条書きするやり方とかは似たようなことをしているので、まぁやってみるといいとは思います
ただ効果出る人ってのは元々語彙力がある程度ある人だと思います
それと知識の引き出しがある程度ある人(これはその業界知識だとかそういうのじゃなく、生活知識とかそういうのも含めたあなたを司る知識全般ですね) だと思います
最近教えていてわかってきたことのメモ
最近初学者の方にエンジニア職を教える機会があり、いろいろと教えている内に何となく知識化された事を自分のためにメモ化しておこうかなと思い、こうして投稿しました
技術を学ぶために技術を覚えるというのは一見筋が通っているように見えるけども、技術とは何、という大きな問い合わせに対して模索する方法がありすぎるので、初学者はそこよりも「これをやりたい」という目標に見合った技術を覚えた方が最短で知る事はできる
— オレンジライオン (@lion_man44) 2016年5月6日
ここで重要なのは学ぶ事ではなく、知る事
(自分のtweetに反応して自分よりも分かりやすくしてくれた)
ですよね。興味は技術依存しない武器なので、特に学ぶ最初においては、興味でこじ開けちゃって良いと思います。
— 1ft_seabass (@1ft_seabass) 2016年5月7日
以前、初学者に技術を伝えてた時は、技術そのものも大事だったけど相手の興味を探るというのも、かなり気にしてたかなー。 https://t.co/NSyErVvxOY
「技術依存しない興味」というのは自分も納得で、興味が無ければ学習意欲が続かない性質なので、興味というのは重要なポイントになります
逆に興味があればそれは長続きする可能性があります(本当にこれ引き出すの難しいんですけどね)
で、ここから更に「学ぶ≒知る?」と言っていた人がいたので、それについて言及したいと思います
自分の中で考えている事ですが、知る事と学ぶ事は当然違います
知るとは知識であり、溜まり、忘却していくもの
学ぶとは知恵/発想力/応用力に近い瞬間的な行為
と捉えています
知識とはマトリョーシカみたいなもので体系的に最初から覚えていっても身につかず、実践的な内容から身についていく事が多いと思います
そしてその知識を包含して更に体系的な知識/歴史を知っていってマトリョーシカが完成していきます
しかし、その中身のマトリョーシカはどんどんと忘却していき、最終的には外側の部分だけが残ります(外側の部分だけ知っていた方が他の事に記憶というリソースを割けるからです)
この状態になると「知ったかぶり」とか「あんまり詳しくないんだけど」という状態になります
では学びとは何か
学びとはその知識の上で成り立つ、別々の知識を合成する行為/ないしはその元知識を更に発展させる行為を学びと自分は呼んでいます
そしてその行為が終わったあとは知識になります(継続的に経過を観察する場合は知識が常に溜まり、フェーズ毎に学びが瞬間的に発動している状態です)
なので、瞬間的な発想力、知恵や応用力とも呼ばれるそれこそが学びの正体であると考えています
結論、学びは教えられません
学びを得るには、本人自身の知識と思考方法と思考スピードと思考リズムが必要です
つまり本人次第だと言う事です
よくあるような「気づきを与えようとした」というのは自分には不可能だと思っています
それは何故かと言うと、本人の思考スピードや思考パターン、思考リズム、知識量などを正確に計る事はできないからです
教育者には教育者の思考スピード、思考パターン、思考リズム、知識(経験含む)
学習者には学習者の思考スピード、思考パターン、思考リズム、知識(経験含む)
があります
これを自分の思考リズムなどとコンフリクトさせずにマージさせていく必要があり、学習者のリソース(経験値)をそのまま教育者の中に展開させる必要があります
こんな事ができるのは真賀田四季博士のような他人の人格をそのまま自我の中に展開させることができる天才/異才だけであり、普通の人間では無理です
そのために「気づきを与える」などというような教え方は、烏滸がましいと自分は感じてしまいます
それは学習者に教育者の思考パターンを刻もうとする事であり、思考範囲を狭める行為に他ならないからです(異論はあると思いますが)
化物語という小説に忍野メメというキャラクターが存在するのですが、彼の言葉は非常に良いものだなと思いました
「人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできないよ」
まさにその通りでこれを自分流に今回の事に当てはめるとこうなります
「人は一人で勝手に気づくだけ。誰かが誰かに気づきを与えるということなどできない」
稚拙で乱文なために読みにくかったかもしれませんが、ここまで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
追記
昔の人が「知識と知恵は違う。両方育てなければいけない」というような言葉を残されているんですね
今回の言いたい事はこれに集約されているかもしれません
さすが、昔の人